スリランカ
1997年(平成9年)11月27日(木)〜12月3日(水) 7日間

スリランカ民主社会主義共和国
通称スリランカは、南アジアのインド半島の南東にボーク海峡を隔てて位置する
共和制国家。首都はスリジャヤワルダナブラコッテ。1972年まではセイロンと称していた。
島国であり、現在もこの国の位置する島をセイロン島と呼ぶ。国名をスリランカに改称した
シリマヴオ・バンダラナイケは世界初の女性首相である。また、国民の7割が仏教徒である。

  ウエダ村原住民  生活  キャンデイ  水牛

学校
家族  農村  漁村   市場  コロンボ

                       地域別にクリックすると写真が出ます。
我妻正史Art.Gallery

突き抜けるような広い空の下、限りなく続く海の青と草木の緑。そのふたつが太陽に照ら
され反射し、無邪気な子供のように輝く。色鮮やかな魚が戯れ、黄金色の浜辺がまぶしく
光る群青の海。豊富な種類の鳥と動物が生命を謳歌する深き緑。そして、名もなき田舎道
をふらりと歩いてみれば、笑顔と共に行き交う人々と交わす挨拶や、牛がのんびりと草を
食む田園風景に懐かしさを感じる。
この国を訪れ、その生気あふれる姿を目にしたらまず
遠い記憶の底に埋もれる原風景が目の前に迫ってくる感じがして、子供のころの時代がよ
みがえってくる.不思議な懐かしさを感じる。
スリランカは、「光り輝く島」という名前
を持つ北海道の約
8割という決して大きくない国土の中に、自然、民族、文化、が驚くほ
どの多様性を備えて混在し、それぞれがこの国を特徴付ける輝きを放っている。かつての
国名
「セイロン」の名を冠し、目が覚めるような香りと芳醇な味わいの紅茶。その紅茶を
産み出す清涼な気候と見ごたえある眺望に恵まれた高原地帯。それが、自然と共に生きて
きたこの国の人々の営みである。
どうしてこんな小さい国にこんな大自然があるのかと考
えてしまう。豊かな自然が五感に溶け込んで来るような至福の時間を提供してくれました

世界遺産に指定された史跡や自然保護区が7つもある。

 
野生の王国
 あのアフリカや南米アマゾン流域でさえ、人間の生活区内では滅多に野生動物を見かけ
なくなったという今日、スリランカこそは、まさに
野生の王国と呼ぶにふさわしい。ジャ
ングルの村は当然として商店が建ち並ぶ町の路上でさえ、2m近くもあるインドオオトカ
ゲがのっそり現れ、路上で人家の犬と喧嘩をしているのだから、のどかというか不気味と
いおうか…。私が泊まった部屋でも天井から大きなイモリが落ちてきた、見上げてみたら
まだ
23匹位、壁にへばりついていた。れもこれも国土が狭く、そのわりに未開発地の
ジャングルがほとんど手付かずのまま残っているため、いきおい人間と野生動物が隣り合
って住まねばならないことの結果なのである。スリランカで旅行者が野生動物を見ようと
思ったら、手っ取り早いのは南東部の
ヤ―ラ(ルフヌ)国立公園に行くことだが、そこま
で行かなくても、普通に地を旅してジャングルの村を訪れるだけで、かなりの種類の動物
を見ることが出来ます。
で道路を走っていれば、マング―スやオオトカゲ、ヤマアラシ
などが道を横切るのに出くわし、鹿やイノシシの群れが木立の中を歩いているのが見られ
る。藪地ではクジャクが飛び立ち、驚いて見上げれば今度はサルの群れが枝から枝へと渡
っていく、また餌をもとめて路上に群がっている姿も見ました。シラサギやフラミンゴが
群がる川や湖沼沿いの村では、ワニが恐るべき隣人であり、子供たちの水浴を気遣う親た
ちの姿を見かける。
人間と動物との共生 間と動物との関係でいえば、もともとが仏教
の殺生戒のため、また最近では政府の動物保護政策のため、人間に害をなす動物に対して
も人々は大らかである。
畑農耕のため、あるいは蜂蜜採集のために日々ジャングルへ入
らなければならない人々も、ゾウやヒョウといった猛獣類を恐れこそすれ、危険排除のた
めに殺そうとする考えなどはまったく持たない。一つの村で年に何人かは死傷する事故が
あっても、それを宿命として受け入れる諦観のようなものが働いているのだろうか。とも
かく、スリランカが今日まで野生動物の豊富な島としてあるいは、自然条件のほかに、こ
うした人々の仏教的な人生観や自然観が働いていることも大きいのだ。
ころが、スリラ
ンカの野生動物のすむ環境は全島規模で急速に悪化していることを知りました。この
10
以上ジャングルを舞台に続く戦闘の影響だろう。特に北東部のジャングルではタミル・ゲ
リラと政府軍との戦闘が相次ぎ、かなりの兵員が入り込んで滞在したため、動物のテリト
リ―の激変や食料としての乱獲などが懸念されている。南部のジャングルでも人民解放戦
線と政府軍の戦闘があったが、
20041226日スマトラ沖地震による津波の大惨事以降、
状況は変わり、
20074月現在、両者の関係は悪化している。コロンボをはじめ国内の要
所には、テロに対する警戒態勢が敷かれている2
00866日、コロンボ郊外やキャンデ
ィで路線バス二台が相次いで爆破され、乗客二十三人が死亡、六十人以上が負傷した。
一刻も早い政治情勢の安定化と、その後は理性ある開発を望むばかりである。

 忘れない私の旅
特に感動したのは、ピンナワラのゾウの弧児園を訪れたときです。ジャングルで親を亡く
してしまつたり、はぐれてしまった子ゾウ
50頭余り(ジャングルで保護された像などもい
る)を保護している施設だ。像を撮影するため待っていたら(ゾウたちがやってくるので
非難してください)なんて注意されるので振り返ってみると、ゾウたちが同じ道を小走り
でやってくるのだ。実際、彼らが集団で走って来る光景は迫力満点。もし、そこに立って
いたらなんて思うと、ちょっとぞっとしました。川に着いたら各自思い思いに水浴びを始
めました。感動のしっぱなしでワクワク、ドキドキしながら夢中でシャッタ―を切り続け
ました。なぜならスリランカの目的は動物を中心に人々とどう拘って生きてきたのか暮ら
しと、文化を知りたくて訪れました。どうしてこんな小さな国にこんな大自然があのかと
考えてしまう。豊かな自然が私の心を癒し、人々と暖かい触れ合いで生命力をいただきま
した。

  スリランカの大惨事

  20041226日スマトラ沖地震により、震源地から1500キロ海を経たてた島国スリランカ
  の海岸線を直撃し死者・行方不明者は約
4万人にのぼりました。の当時は平和な生活でま
  さか地震が起きると津波が来るなど誰も思いもせず、人々は押し寄せてきた波にわけもわか
  らず呑み込まれてしまいました。この国まで津波がやって来ることを、あらかじめ知ること
  が出来ず被害が拡大したのは本当に残念です。
災者の多くは魚をとって生計を立てていた
  漁師たちでした。彼らは家が流されただけではなく、漁船や網まで失い生活の糧を完全に奪
  われてしまったのです。海底に瓦礫が溜まっていると網が引っかかって破れてしまいます。
  以前のように漁が出来るかどうか心配でしたが、いまは海外などからの援助を元に被害者同
  志が助け合って少しずつ復興しているそうです。

  写真は199711月から12月にかけて津波に襲われるまえに、伝統的な魚を追い続けて撮影
  しました。
―タラと呼ばれる大形の網を使った漁が盛んに行はれてきました。沖合にマ―
  タラを仕掛け大勢で浜辺に引き上げる地引網漁です。
その当時は感動のしっぱなしで胸がド
  キドキ、ワクワクしながら無我夢中で切りとりました。私にとっては一生忘れることの出来
  ない貴重な写真になりました。

 地域別クリックすると写真がでます。 写真750を御紹介させて頂きます。
   どうぞご高覧ください。

自然と共に生きるスリランカ