我妻正史(わがつままさし)水彩・版画/写真

 1935年宮城県塩釜市門前町に生まれる。 父は写真館を経営その影響をうけて絵や写真に興味を持つようになる。県立塩釜高校在学中の1953年「散村の秋」を東北初の自治体主催公募展塩釜市美術展に初出品して塩釜公民館長賞(最高賞受賞)、54年「冬日」で彩画堂賞。同年「早春」を河北美術展に初出品して入選するなど、高校の美術教師佐野寛の指導が大きく関与し、絵の道を志す動機となった。その後は会社勤めで展覧会には出品せず、1995年定年退職後、本格的に絵画版画写真に打ち込む。1997年中村英に師事、2001年より山田彊一にシルクスクリーンの指導を受ける。 
 1998年第52回水彩協会展に「空き家の引き戸」を初出品、新人賞を受賞。1999〜2005年は水彩連盟展に出品、2000年「壁?」「壁?」で奨励賞(スター賞)、2001年「街?」で奨励賞(船岡賞)準会員推挙、2002年「白い街?」で第61回展準会員賞、2004年「白い街04-1」で第63回展準会員賞を受賞するが、2005年退会。そのほか2001年第39回中部国展で「街?」「街?」が初出品新人賞受賞、2002年以降は、国展(絵画部)に「街?」が初入選、2003年第77回国展(版画部)に「同時多発テロ」が初入選。2004年「廃墟?」で第78回国展新人賞受賞。2005年「旅の記憶?」で中部国展絵画部奨励賞、「廃墟?・?」で同展版画部奨励賞受賞、2006年「廃墟?」で第80回記念国展 国画賞受賞。第81回国展にて国画会準会員に推挙され、2013年第87回国展にて国画会新会員に推挙される。
 この間1998年水彩協会メキシコ展(オアハカ)に「古い民家」を出品、交流展で渡墨、1999年第7回パリ国際サロン推薦出品「古代の顔像」で創立会員推挙(2002年「都市再開発」でバロン・ルヌアール賞、2003年招待出品)、2000年国際親善芸術栄誉賞受賞、2001年日本・フランス・中国現代世界美術展に「化石」を推薦出品(国立中国美術館−北京)、2003年韓・日作家交流展(釜山)、第1回秀作水彩展21(新潟市美術館)SANSUI展(東京銀座画廊美術館)2004年日・韓作家交流展(名古屋電気文化会館)ふくみつ棟方記念版画大賞展(福光美術館)、2004,2006年国画会版画部受賞作家展出品(地球堂ギャラリー)、2005年京展初出品、スペイン・カダケス国際展入選、東京国際ミニプリント・トリエンナーレ招待出品、2006年第74回版画展に「memory」を初出品、賞候補、中部総合美術展、2014年上野の森美術館大賞展高知国際版画トリエンナーレ「あの日の記憶014−2」出品。
 また、絵画制作と平行して取り組んでいる写真では1998年〜2001年まで中日写真展に出品、1998年第49回展「バロンダンス」で北陸中日新聞賞。1999年第50回展「砂利作業」で中日スポーツ賞。2000年第51回展「朝げいこ」で中日スポーツ賞、2001年第52回展「はだか祭」で北陸中日新聞賞。
 1998年第48回中日写真サロン「休息」で良位賞。2000年第8回中部写家300人展世紀末の残像」「腕力が強い」で出品。
 当初は筆だけを使って描いていたが、自らの意思表現の限界を感じ、様々な材料を使用した偶然性に新しい表現を見出す。これに伴い、写実・具象から半抽象へと変遷、2001年より街をモチーフとした抽象イメージの作品を制作。絵具を塗ったり削ったりを繰り返しながら、色彩とフォルムが連動してリズムを形成、強靭なマチエールを造る。対象との対話を通して心の奥から湧き上がるイメージが生み出す色や形によって、騒音・動き・工事・暮らしなど、生きている街全体の雰囲気を表現する。
2007年我妻正史作品集刊行(生活の友社)、名古屋電気文化会館にて自選展個展開催6回、国際展交流展外遊15回。2005年多摩美術 大学美術館に作品収蔵他。
  現在国画会会員 日本美術家連盟会員
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